クソなアルバイトがいる店はクソか?【印象論】

くっそみたいなコンビニ店員がいたとします。(経験上ない)

そしたらあなたは

A、このお店はダメだ!

B、あの子はダメだ!

どちらを思いますか?

 

どっちがいいという話ではなく、今回はどう考えるのが楽かという観点から話をしたいと思います。

 

 

1、可能性を多く感じる方が楽

短絡的発想と言いましょうか、結論がはやく出てしまう人。(私ですww)

やはり、それはもったいない。

【コンビニに態度の悪いコンビニ店員がいて、その店に行かなくなるというのはもったいない。のかもしれない。

というのも、次の出勤の人が超絶美男(女)な可能性があって。次にコンビニに行くとおにぎりに電話番号が挟まっている可能性がある。(0に等しいが)

これはちょっと極端ですが。】

ある種のチャンスを捨てていると私は考えています。

これは、仕事でも一緒で人の印象も叱りですが、上司の厳しい一言の裏を考えてみるとか、部下の何気ない発言を視点を変えてみるとか。

今起きた現象に、答えを1つしか用意しないのってすごーくもったいないと私は思うのです。

上司は社長に怒られた後だったのかな?とか、部下は前の仕事で落ち込んでいるのか?とか。そう考えると、許せたり、追いかけてみたり。

何個も考えろとは思いませんが、1つと言うのはチャンスがないのかなと思います。

 

2、私が正しい訳ではないし、相手が正しい訳ではない。

簡単に申しますと、答えがたくさんあることを知っていると自分にとっての正解と相手にとっての正解があることに気付けるんです。

だから、自分の答えは自分にとっていつも正解ですが、相手にとってはいつも正解な訳ではない。ということは当たり前ですが、忘れちゃうことです。

相手の言うことを否定する前に、違う答えがあるというある種の余裕があるときっとストレスとか、苛立ちって軽減される。

それってすごい楽だと思うんです。

3、答えなんてないから考えるだけ無駄だと気づく。

とどのつまり、相手の正解なんてわかりません。

あの時が正解だったかなど、未来永劫わからないのです。

そんな不毛なことがあってたまるか。

 

クソな店員がいた。でも

そこには、クソな店員がいるという事実だけあって。

店がクソかどうかも、なんなら本当にあの店員がクソかどうかもわからないんです。

100回会えば、案外仲良くなるかもしれない。

 

でも、誰にもわからないんです。結果がわかるのは行動した時だけ。

だから、行動するまでわからないんです。なら、行動を決めたらそれ以上考えるのはものすごく無駄ですよね。

 

心配性な自分はいつも不安に駆られるんですが、もう特に寝れないこともないです。だって、結果変わらないし。

それってやっぱり楽だと思うんです。

 

でも、分かっていてもできないことは一定数あるんですけどね。

 

正論では世の中が回らないのが何よりの証拠。

 

あー、めんどくせぇ。

 

明日からもどう楽に過ごすかを考える硲でした。

 

あれ、この文章なんの解決にもなってないな。

 

だが、生産性で語らないのがこのブログ。