「私たちは運命だった」と、どのカップルも思っている

特別な人間になりたい、何て思うけど実際に特別な人間というのは幾ばくか特殊で常人には理解されない側面や、そもそも認知されていないなんてことが多い。

テレビやマスコミに良い側面だけを報道され、努力や辛い経験や、措かれている劣悪な環境などにはフォーカスは当てない。

もちろん、それはマスコミのあるべき姿なのかもしれない、見てもらうためには、見たいものを抜粋して報道する必要がある。ということである。

 

 

そして、カップルという話題においてもこの理論は成立する。

一般的なカップルとは、いったいどういった人だちだろう。

なんとなく、職場とかで知り合って結婚した、学生時代からの馴れ初め、夫が働いていて、職が安定して時期が来たらプロポーズする。

そんな感じだろう。

一般論など人によって違うので、あくまでも基準を各自作ってほしい。

しかし、そこにはテレビ報道のように過程は存在しない。

詳しく、「何をしたか」なんてことは想像しないはずだ。人がどう恋に落ちて、どういったタイミングに愛を感じて、結婚に至り、生活を共にする辛さと楽しさを具体的に想像できる人も、そしてその感覚を伝えられる人も世の中には少ない。

では、以上の感情を「本当の愛」と呼称するとして

この、本当の愛を知ったとき人間はどう感じるか?という話である。

 

 

人を好きになり、相手も自分を好きだと知り、愛し合って、人生を共したいと考えた時愚かにもほとんどの人間がこう考えるのである。

 

「私たちが出会ったのって運命なんじゃない?」

そういう男女をたくさん見てきた私は思う。

 

「そこらへんに転がってるで、運命。さっきドラックストアに売ってた」

 

本当に悪い癖だと思うが、どうしてもあなたたちは特別には見えない。

普通に付き合ったカップルにしか見えない。

だって、あなたたちがどういった感情で愛し合っているかなんて知らないし、申し訳ないが興味はない。

テレビと一緒で、側面が見えなければ本当の愛があろうとも、ただのそこらへんカップル。

 

さて、ころロジックは実に厄介で

いざ自分が該当者になり、本当の愛に触れると同じ症状が出ることだ。

だから、大半は防ぎようがない。

もちろん、私もきっとその病にかかるだろう。

 

恋は盲目というのは、まさにこのことなのではないだろうか。

 

気を付けていただきたい。