インターネットがつまらなくなったと思う理由5つ

あぁ、最近インターネットしていても詰らないなぁと思う人はいますか?

個人的には平成1桁世代。ニコ動、2chがまだ面白かった頃の時代の人たちは本当に思っていることだと思います。

そこで、何故面白くなくなったかについて考えてみたので、共有したいと思います。

その1 リアルとネットの境界線が無くなったから

ネットが栄える頃に日本と言う国で教育を受けた我々は耳が腐るほど「インターネットは悪」と教育機関で教わります。

あれほど、ネットに情報は書いてはいけないと言われていた時代から早10年。気づけば、実名登録のSNSを使うようになりました。

昔って動画投稿サイトで顔出しする人は少なかったです。顔も一個の情報だからです

でも、今は平気で顔出してますよ。何故でしょうか?私にはわかりません。皆がしているから?やり方が確立されたから?スマートフォンの性能が上がったから?色々な理由が想像できますが、それが一般化してしまったということなのではないでしょうか。

やり方がネットを調べれば書いてあって、安価に実行できて。敷居のようなものが下がったのでしょうか?正解はわかりませんが、それほどに、リアルとネットの境界線は溶けてきています。その分別が無くなったから周りを気にするんです。現実で発言しているのと変わりませんからね。そんなネットに私は価値はないと思う。

この「一般化」というキーワードは後々使います。

その2 誰でもできる故に、面白い人が埋もれたから

 

 

多くの人に利用されるようになったインターネットは親しまれ、皆が使う者になりました。その代償だと思うのが、発信者の増加です。

私もその一端ですが、情報の多さが尋常じゃないです。多いんです、多すぎです。SNSは特に顕著で私はそんな情報いらないのでもうやらないと思います

で、発信者が増加すると発信の仕方もテンプレ化されてくるんですね、同じようなことを書いたブログと綺麗な風景を移したどうでもいい写真だけがネットに拡散されて「その人の面白さ」がどんどん埋もれていくのです。

ãå°æããã¡ã®ã¡ã¤ãã©ã´ã³ãã¿ã¤ãã«ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

小林さんちのメイドラゴンというアニメがあります。

知っている人はわかるかもしれませんが、人間に化けることのできるドラゴン「トール」が小林さんの家に居候するアニメです。4話に、白髪のドラゴン幼女の「カンナ」ちゃんが人間界に馴染むために小学校に通う話があります。

アニメの中では、小学校に通うために買い物に行くシーンがあるんですが、そこで「トール」が疑問をぶつけるんですね。セリフは完ぺきではありませんがニュアンスで。

ランドセルや靴、ぞうきんまで学校指定の同じものを見て、どれも一緒で個性がない。とトールが言います。すると、小林さんは「みんな一緒、それが大事」と言うんですね。それに対してトールが「一緒じゃなければ?」と尋ねると「排除される」と答えます。トールたちドラゴンはもっと個性を大事にする生き物で、一緒のものを身に着けることが理解できない訳ですね。自分と違うものを排除するなんて「下等生物」だ。とトールは呟くんです。

普段は明るいアニメなんですが、このテーマはぐさっと来ました。

で、この話が何に繋がるかと言うと

ネットもリアルと境界線が無くなると、一緒にしたがると私は思います。SNSが流行れば皆やるし、youtuberが増えたらみんなやる。

これは、憧れるのが悪いとか、目標を潰すとかそういう論点ではないですよ。

私が言いたいのは、便乗して楽しいか?と考えてほしいということです。皆と一緒は楽しいかもしれませんが、今のネットはその楽しいの踏み場になり「個性あるその人の面白さ」は検索では出てこなくなりました。

もちろん、それが悪いとは言いません。大切なコミュニケーションなんでしょうし、情報ツールなんでしょう。

ただ、同じ情報が多いと飽きる。

腐らせないでほしいともわがままに思う。

「一般化」してませんか?

 

今回のネットがなぜ面白くないかという論点で言えば、移住者が増えて目的の人を探しにくくなったからという事でしょう。

その3 思い出補正しているから

この間の

hazamast.hateblo.jp

でも、ありましたが良かった時代をただ美化して書いている痛いおじさんなのかもしれません。

「最近の若いもんは」という老い前回のワードを現代風に言っているだけなのかもしれません。

だとしたら、もうただの老害ですね。

単純に、受け取るコンテンツが同じだったとしてもきっと思い出補正は崩れないでしょう。

その4 面白かった人はもういないから

我々の生活にネットが切っても切り離せなくなったからです。逆に考えれば、昔は切ろうと思えば切れたのです。だからこそ、限られた人が自分のやりたいことを発信していたんだと思います。

そこに「その人の面白さ」があったから当時は面白かったのだと思います。

でも、面白い人って変に粘らないというか?新しいもの好き?な人が多いと個人的に思っています。だから、もうブログとか動画に面白い人はいないんじゃないかな?

って勝手に妄想しています。

だって、すごい人や個性的な人っておもしろいですけどやっぱり、人がやらないことをやってますから。人がやっていることをやっている時点で三流説はありますよね。

今彼らはどこで何をしているのだろう。

その5 もしかして日本だから?

これは、まだ私の中でも不確定な部分です。

日本サイトじゃなかったら案外面白いってこと多いです。最近は翻訳もしっかりされますし、ちょっと英語勉強しようと海外サイトみたりします。そしたら面白いです。

hazamast.hateblo.jp

これは、海外のテストを紹介した記事。おもしろかったなぁ。

やっぱり自由。

自由が故に危険だけど、でも檻で餓死するならやっぱり野にでてライオンに食われる方が生きている気がするよ私は。

これは、テレビが面白くなくなった理論と一緒だと思います。

規制が入ると基本的におもしろくなくなるよ。それはネットも一緒。

自己管理できるなら、縛りすぎるのもよくないと私は思うよ。

終わりに

とても好き勝手に書いてしまったから、軽くまとめます。

ネットは人が増えたけど、その分を同じことをする人が多くてその情報量が故に、探したい情報が見つからない人がいる。でも、時代はいつもそうでこれから新しい住処を見つけるべきだと思う。だから、今ネットを使っている人が悔い改める必要もないと思うし、そのままでいいと思う一方。共感してくれたら嬉しいとも思う。

ってことです。(←そう最初から書け)

また生きていれば考え方も変わると思うので、また書こうと思います。

まぁ、答えがわかったところで何も変わらないんだけどね。

そこに面白さってあると思うから、理由は全部には付いていないものだよ。

ってことで以上、硲翔太郎でした。