結局美人を育成ゲームに例えて説明する。

将来の夢はラジオパーソナリティー、硲翔太郎です。

 

世の中には、誠に残念なことだが綺麗な顔立ちの人とそうでない人がいる。

私はもちろん後者であるが、そういった武器を持たない分違う面で努力をし、帳消しにしようとする。

例えば、株の勉強をして少しずつ運用を増やして確かな利回りを得ている。これは、イケメンホストとは違う面で勝負していることになる。

しかし、ながらイケメンでデイトレードで実績を上げている人もいる。これは完全敗北である。(性格悪ければいいのに←

 

この話を美女にも適用してみる。

 

美女にも、努力する美女と努力しない美女がいる。

この場合の努力とは、美に磨きをかけることだけではない。

美人とは現代社会において有利にもかかわらず、勉学において優れている美女もいれば、スポーツに特化している人もいる。

 

何が言いたいかと言えば、この努力する美人は、自分の生まれ持った特性に慢心していないことになる。真の美人は、美が有限であることを知っているということである。

 

人の価値がどのように決まるかなど私の知ったことではないが、もしステータスというパーラメータが存在し、合計値で競うゲームなのだとすれば、育成ゲーム的には努力する美人は間違いなく最高ランクのキャラクターである。

 

美人という特性は、上昇値の初期値は高いものの時間経過と共に上昇値が減少しやがて0になるというデメリットを持った特性である。

そこに気付いた「特性:美人」持ちのキャラクターは更なる特性を身に着けるべくトレーニングを開始するのである。

 

では、「特性:美人」におぼれたキャラクターは最初は高いステータスのものの、時間経過とともに下がるステータスに気付かず、後に気付いても見て見ぬふりをするのである。

 

だが、美人と初期ステータスが高い故、幼少期より恋愛戦争に負けない、基本的に自信家など、特性:総じてコミュ力高い を有しているため結婚や仕事の良いパートナーを見つける確率が高い。基本的に初期値が高いのである。

 

結局は顔なのか!?

 

そうではない、と私は思う。

与えられる幸福がある分、与えられない幸福もある。逆に、与えられる不幸だってあると思うのだ。男の人に声をかけられたり、ストーカー紛いのことをされたり。イケメンでもしつこい、狂気じみた女性が後をつけてしまうケースもある。

世の中、美人だけが成功している訳ではない。

最初に強い武器を与えられなかったからこそ、できるようになったことは決して少ないとは思わない。

どうして、「私は美人でなかったのか」「結局イケメンかぁ」

と嘆くよりかは、顔をよりよく見せる努力や、顔ではない勝負を仕掛けるチャンスが与えられているのである。

愛層のいい普通の人と不愛想な美女であれば、私はニコニコしている人と一緒にいたい。

美人ならば良い、訳ではない。

 

だが、ここで冒頭の話題に戻るが、その努力を美人がしてしまうと我々は手出しができない。

ニコニコしている美女ならば選択の余地など無いのである。

 

もう、お気づきだろう。

努力する美人は最強なのである。

 

という、持論がわたしにはあるのである。

 

以上、イケメンになりたい。硲でした。