会社の仲間とランチを一緒に食べない。
忘年会には参加しない。
みんな同じなものを買わない。
制服が違うけど気にしない。
少し変わっているなぁって思う人周りにいますか?
そして、あなたはそんな人を排除してますか?
排除とまでは行かなくても、遠ざけたしますか?
周りと違う人をやけに嫌う風潮が特に日本にはあるのではないかと考えています。
この記事は、友達が少ない人、そんな変わり者が気になる人と友達が少ない自分が嫌な人に読んでほしい記事です。
個人的な見解なので、嫌な方はブラウザバックしてください。
1、一人で何故いけないのか
人と繋がる、助け合う。大切ですし、必要なことだと思います。
ですが、SNSが発達した現在どうしてか友達はいない奴は社会不適合者のような認知が合って、友達がいないと何故か皆さん焦ってますが
本当にそれが正しいでしょうか?
好きでもない友達を作ることで寂しさのようなものをあべこべにして、上塗りしている人がいます。
周りと一緒だと安心するし、独りでいるより寂しくない。
ただ、孤独に負けていると思うのです。
その孤独に耐えれた人間を何故馬鹿にするのでしょうか?
どちらがいいという話ではなく、孤独でいることで生まれるものがあるということです。
2、孤独で生まれるもの
自分でなんとかする力、あなたにはありますか?
人に助けてもらう、ことが当たり前になってませんか?
私は車屋が嫌いで、タイヤ交換はもちろん自分でできる範囲のことは自分でやってしまいます。テールランプの交換とか、カーナビ取り付けとか、これはできる自慢がしたいのではなく、孤独だからこそできるようになったことだと思います。インターネットで調べて自分でやってみる。だって人に頼むの嫌だし。
3、本来の自由
誰もいないということは、迷惑が掛からないということだと思います。つまり、本来の自由です。だれかと何かを成すことはとても素晴らしい事ですが、一人になって何をするか考え、自分の意志で行った時に本来の自由を体感できると思うのです。
番外編、一人でもネットを使うと意味がない。
完全に個人的な見解ですが、一人でいて何をするかを決める際にネットを使うと意味がないと私は思います。
何故か、と申しますと
例えば、分からないことがあるとみなさんネットで調べますよね。
その記事を書いているのは私のような人間であり、ウィキペディアでさえ個人が制作可能です。人が書いたことを検索するということは、人に共感していることと変わりません。
例えば、「一人 暇 やること」
と検索して出てきたサイトは、他の人が書いた「一人で暇でやったこと」を模倣することになります。
もちろん、否定する訳ではありません。
ただ、私が思う本来の自由な人である意味とは大きく離れてしまう。
知識を得るためにインターネットは便利ですが、自分の考えが人と同じかどうかを確かめる道具にしてしまうと、結局は大衆にいるのと変わりません。
自分の中にある経験とか知識が導き出した行動ってのは案外、自分本来のものだったりしますよ。
誰かに影響されるのやめてみませんか?
という話でした。